38歳、茶道を習い始めました。
この地にて陶器への興味を深めていけばいくほど「茶道」は避けては通れない、と思うようになりました。
美濃焼の発展と茶の湯はきってもきれない関係です。
ただ若き頃数ヶ月だけお稽古に通って挫折したことがある身、なかなか足を踏み出せませんでした。
ところが今回、目から鱗な茶道の先生を紹介して頂き、この先生のもとでならもう一度挑戦出来るかもしれない!という思いから月1ペースで娘と一緒にお稽古をさせてもらうことにしました。
ここではその学びの記録を公開していこうと思います。
表でも裏でもない、有楽流
紹介して頂いたのは岐阜市内のご自宅で「有楽流」を教えていらっしゃる先生。
表千家や裏千家と言われる流派が町人の流派であるのに対して「有楽流」は武家の流派だそうです。
そもそも表も裏もよく分かっていない身としては武家の流派だから何なんだ、という感じではありますが、
江戸時代から家元制度をとっていた町人茶と違い、武家茶道においてはいわば各藩の殿様が家元に相当する立場であり、実務は茶道師範に任せていることが大半であるが、中には大名自ら深く茶道を嗜んでいる事例もある。廃藩置県以降、武家社会の崩壊とともに消滅した流儀も多いといわれる。
2回ばかり通っただけのものすご〜く薄っぺらな知識を元にした印象としては武家茶というのは、より簡素でシンプルな感じではなかろうか、と思われます。華美であることをとことん排除する、というような。。。
このあたりのことはこれからお稽古を重ねたらより明確な言葉で語れるようになるでしょうか。
はじめて先生とお会いした日に先生は
「細かいことはどうでもいいって言えばどうでもいいのよ。どうやって美味しく、気持ち良くお茶を頂いてもらえるか、なのよ」
というようなことをおっしゃっていました。先生の堅苦しくない語り口に一気に魅せられてしまいました。「有楽の茶は、客をもてなすをもって本義となす」とあるそうですが、要はそういうことなのですね。ぜひ学びたい!と意欲が高まります。
お稽古は座禅の瞑想から
さて、先生のお稽古は座禅を組んでの瞑想からスタートします。
(これが有楽流の流儀なのか先生のオリジナルなのかは不明。次回のお稽古で先生に尋ねてみよう。)
お線香をたて、座禅を組みながら静けさを堪能する瞑想。
座禅もまともに組めませんし、次から次へと雑念しか湧いてこない私ですが不思議と心が落ち着きます。
そして先生が「茶味」という本から1章ずつ読んで下さります。
「茶味」奥田正造 著
書評を見つけました。
利休の理想とした倹素な生活、知足安分の生活、「家は漏らぬ程、食事は飢えぬ程」の言葉の中に秘められた侘茶の神髄を説き、茶道の本来あるべき姿を切々と語る。
不朽の名著、ここに再現。http://www.bookservice.jpより